豪傑京大熊野寮。大学の自治をニュースで説明しないといけません。小学校の自治、が必要かなワラ
先日、なかなかに面白いニュースが有りました。
京大熊野寮に過激派の構成員が転がり込んでいるという容疑でガサに入るという事だが、機動隊と寮生で揉めたというお話です。
“中核派系全学連の活動家が出入り”京大「熊野寮」を機動隊員ら約140人が家宅捜索 | MBS 関西のニュース
ヤフーニュースのコメントはこちらですが、リンク切れ早いのでご注意。
京都大学“熊野寮”で学生と機動隊含む約140人が対峙 逮捕の中核派系活動家が出入りか(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース
ニュース自体はどうでも良いのですが、それに対するコメントを見て、ああ、日本は教育レベルも低いし、マスコミは必要なことを説明する気も無いのだな、という事がよくわかります。
大学の自治とはどのようなもので、何故それが必要なのか。
それと、今回のガサのとっ散らかった問題点は何なのか。
コロナなのに密なこと?
突入前にガサ状を出さなかったこと?
警察が機動隊140人という威圧的なガサを行ったこと?
(なお2016年に栃木県警により行われた山口組総本部へのガサは50人体制です。参考までに。)
熊野寮が中核派を受け入れていたという事?
熊野寮に自治能力が有るか無いかが問題ということ?
など、色々あり、それらをいっぺんに論じてどちらかに軍配を挙げようとするとおかしな事になります。
それぞれの点について是非があり、この点は、国の言うことも最もだね、とか、この点は熊野寮の大学の自治を守るべきだ等と星取表を付けていき解説する必要が有ると思いますし、どちらがどうと断言できるものでは無いと思います。
メディアの伝え方は警察が大学の自治を侵したような伝え方ですし、コメントは無知に溢れかえっています。本当に怖気が立ちます。
逆説的ですが、一度日本人は民主主義を剥奪されたほうが良いのではないかと思います。我々は英主のもとに戦わずして近代化と近代的人権を享受しています。
明治維新も革命ではなくクーデターです。特権階級同士で権力のやり取りをしていただけなので市民からしたら(なんかようわからんが、近代化したのう)みたいな感じなのだろうと思っています。
安保闘争時に幼かった安倍晋三氏に時の首相である岸信介が語ったことが一番的を射ているのでは無いでしょうか?
明治の元勲を祖父や曽祖父に持つ人もまだ多いと思います(私の幼い頃には元兵隊の教師がちらほら居ました。彼らの父親は日清、日露の戦争に参加した軍人であったと聞きます)。
歴史は繋がっていますが、それは特権階級の中のことであり、年代を経るにつれて薄まり、今のような市民になっていくのでしょう。
このブログでは何度も触れていますが、民主主義では主権者は国民であり、国政の最後の責任は国民一人ひとりにあるという事。私達の代表者がその任に相応しくない場合は我々が責任を持って変えなければいけないことを肝に銘じなければなりません。
今回のガサで国が何をしたかったのかは解りませんし、詳しく調べたわけではないので、どちらがどうと言うことをここで論じるつもりはありません。
しかし、メディアはもう少し、上記のような説明をされても良いのではないかと思うのです。
皆さんは、どのように思われましたか?
最後まで読んでくださり、
ありがとうございました。