お役に立ちたい!ズレてる私の感性はいかが?

今まで「ズレてる」と言われてきた感性を、「独特の切り口」としてお役に立ててもらえれば、というブログです。

民主主義の欠陥は数の理論に陥るところ。ならば、それを神にゆだねてみようではないか。

私は昨今のニュースを見るにつけ、多数決ゲームになってしまった日本の民主主義に大いなる危惧を持っている。特に安芸高田市の市長と議会の長老のやり取りを見ていると反吐が出そうになる。

 

それについてここで詳しくは論じない。

AIに聞いたらものの1分で理解できるだろう。

 

でもAIも答えを出してくれない、とても難しい問題は、人間様が考える必要がある。

 

民主主義は結局権力を握るものが数を集めて、制度を作っていく。

それにより、利権のあるものが幅を利かせ、日本はこの30年間廃れ続けてきた。

 

 

そんなことは誰もがわかっている。でも結局どうすればこの民主主義の欠陥を補えるか、、、という事に答えは出ていない。

 

最近面白いことをいう人が出てきた。それがイエール大学の成田先生だ。彼は政治家は要らない。と断言する。

代わりにAIに政治をさせればいいというのだ。確かにAIが成長してくれば、その可能性は出てくるのかもしれない。

 

しかし、そういう意味では、AIでなくてもシミュレーションなどで十分未来予測はできており、しかし、与党はその未来予想の警鐘を無視して今の日本があることは周知の事実である。

 

AIの性能が上がろうとも、AIの製作者が権力者になる未来しか見えない。

 

つまりもっとローテクでなければ受け入れられないのだ。

 

話は大きく変わるが、私は麻雀というゲームが大好きである。

 

全く強くはないのだが、程よく運の要素が絡んでいて有段者でも思うように勧めることができず、初心者に足元をすくわれることが多々ある。

 

とはいえ、確率論や駆け引きで乗り越えられる場面もあり、初心者は初心者なりの、有段者は有段者なりの結果に落ち着く、、、というのがいいところなのだ。

 

民主主義政治もこのようにあるべきではないだろうか。

 

民主主義の欠陥は多数決、選挙にある。

 

これは単純に数字で全部が決まってしまい、

 

「権力者の予定通りに」

 

事を進めることができてしまうという欠陥がある。

 

私は政治のとある局面ではA案もB案もそう変わらず、

どちらになっても構わない。または甲乙つけがたいという事も出てくる。

 

そのような局面に関してはどこかでサイコロを振るなりして、どちらの案になるかを神様に聞く、、、というのもよい方法ではないか、、、と思ってきたのだ。

 

もちろんこれは選挙にも応用できる。

 

得票率が近い場合は相手が敗北宣言しない限りサイコロの出目に指定された票数を加えた上で最終得票数とする、という方法もとれる。

 

ちなみにこのサイコロを振るのは、得票の多い方(または与党)の側だが、出目に数字や項目を割り当てるのは野党から推薦で選ばれた人か、じゃんけんで勝った人にすればよい。

 

即決が求められ、人民の命に係わる国防、災害対策などに関しては現状のままの方がよいかもしれないが(むしろ強権化してもよい)、経済的な問題や予算案など、A案もB案も良いというものに関しては、程よく運の要素を盛り込むことにより、少数者の意見を通すことができるような気がするのである。

 

いかがだろうか。

 

面白いと思ってくださった方は、

ぜひ周囲の人の反応を見てほしい。

 

日本人は勤勉で優秀な民族だ。

政府が無駄ばかりしていなければ、

必ず復活できる。

 

あと、官僚のボーナスの3分の2は国民のアンケートと景気の指数で決せられるというのも必要だろう。

 

もうひとつ。税収を挙げたければ増税ではなく、企業や個人の収入を上げろ。自然に税収は増える。

税率を挙げるだけなら小学生でもできる。官僚は馬鹿の集まりではあるまい。

保身と利権を守るのに使う時間と知恵を、国政の方に回せばそれでいいのだ。

 

そのためにはどのような評価方法がよいのか、もっと真剣に考え提言するべきだろう。

 

いくら権力者でも明らかにいい方法を反対すると、さすがに人望を失う。

 

こんな魅力的な方法があるにもかかわらず、なぜに実行しないのか??と言われるようになるために、魅力的な方法を編み出し、広めていく必要がある。

 

さあ、あなたもこちら側の人間になりませんか?