「だろう」も「かもしれない」も同じなのに、うまいこと言うたみたいな感じにしているのは、言い出した人が偉いさんだったからだろうか。
自動車教習所あるある言いたい〜
自動車教習所あるある言いたい〜
自動車教習所あるある言いたい〜
自動車教習所あるある言いたい〜
「だろう運転」も「かもしれない運転」も意味同じなのに、うまいこと言うたみたいな感じにしている〜
と、言うことで、「だろう運転」と「かもしれない」運転です。
私は思うのです。交通標語を決める会議で、どうします?次回の標語?とか、なんとか言っていた時に、偉いさんが通りかかって「だろう運転」ではなく、「かもしれない運転」だ!と、のたもうたに違いないと思っておるのです。
臨席した一堂は「一緒やんけ」と思った筈ですが、相手が相手だけに誰も突っ込めず、「流石ですね」「上手いこと言いますね」とか言いながら(〇〇さんが言ったって言えば誰も反対せんべ。さっさと会議終わってかえろ)と思ったような気がしてならないのです。
たまに、どっちが注意深いほうかわからなくなります。「人が飛び出すだろう」「歩行者なんていないかもしれない」これが正解かな?どっちだったかわからないじゃないかー!
めんどくさいから調べないよ!
私が書いたのが正解だ!何故なら意味が通っているから!!
反論は認めるが、万人が納得する理由を付加することを条件とするッ!!
はあはあ。
だれも、違和感ないのかな、、、
最後まで読んでくださり
ありがとうございました。
- 作者:羽成 守 編著
- 発売日: 2021/04/02
- メディア: 単行本