【ひとこと】年の瀬に思うこと。喪失がくれた物語(ストーリー)。
今年もゆこうとしています。
新型コロナウイルスの感染拡大という未だ収束しないパンデミックにより、いろんなものが失われた年でした。
そして、新しいことがどんどん始まった年でもありました。
今後影響が大きいと思うのは、文化的な重みよりも、一時的であれ利便さに重きを置かざるを得なくなったことです。
物理的に感染が恐ろしくて出来なかった文化的、宗教的行事、社内行事、学校行事などは、否応なく文化の一部を削り取られて、已む無く利便的なものとなりました。
その影響が今後にどのような変化をもたらすのかはまだわかりません。
今生じている少しのズレが、時を経るに連れ次第に大きくなっていき、どこが始まりかも解らない、文化の喪失へと繋がるのではないかという、ぼんやりとした不安を感じています。
だからこそ、いま、そのズレをできるだけ認識して、修正する方向に動かしていく必要があります。
気付いてからでは手遅れでも、今のうちに少しずつ手を打っておけば、何かの役には立つかもしれません。
気がつけば初詣をはじめとする宗教的行事や、冠婚葬祭等も簡素化していき、それぞれの歴史的な重みを失っていくかもしれません。
勿論、もっと良い、新しいものに置き換わるという楽観論もあり、私も基本的にはその考え方ではあります。
しかし、人類にとって不必要なものであればなくなってしまっても良いという考えもある反面、やはり文化というのは時を経て残っているもので、合理的な考えからは説明できない何かをそこに含んでいると思うのです。
10年単位、20年単位、あるいは100年単位という時のものさしでは気付き得ない文化の重みは、喪失して初めて気付く、もしくは喪失したことすら気付かずに、私達の心を無味乾燥なものにしていくのかもしれません。
今は緊急避難的な措置が取られていますが、失ったものは簡単には返ってきません。
色んな物を年の瀬だからという理由で「エイヤ」と捨て去ってしまった年の瀬の朝。
完全に失ってしまう前に、道筋をつけておきたい。そう思った朝でした。
最後まで読んでくださり、
ありがとうございました。