【ひとこと】繰り返しになるから言いたか無いが、だから議論が必要なんじゃないのか!ミスリードなのか、日本語が不自由なのか真剣に不安だ。「敵基地攻撃能力」の議論の発端は?
NHKのラジオで防衛問題の話をしていた。
河野防衛相 「イージス・アショア」断念の経緯 検証する考え | NHKニュース
このニュースの事だ。
その中で、イージスアショアの配備を断念する代わりに「敵基地攻撃能力」を持つ装備を保有すべきと言う議論を進めていかなければならないと言う議論があった。
その中で、この議論が
「イージスアショアの配備断念から議論になっているが、周辺他国に与える影響もあるので慎重に議論されなければならない。」とアナウンサーが締めくくった。(文字での裏付けを探したが、見つけられなかったのは残念だ)
私は強烈な違和感を持った。
このような報道が続くなら国防などなし得ない。
というか、中学校レベルの国語と公民の内容で「何をバカな」と気づくはずのレベルの話だ。
気付いても声を上げないのなら、賛成しているのと同じだ。
何度でも言う。
「憲法はその前文で"平和を愛する諸国民を信頼し、武力の放棄を決めた"と言う趣旨の事を明記している。しかし日本の周囲を見回せば、領海を侵犯する隣国や、ミサイルを上空に飛ばしてくる隣国もある。日本国憲法は、そんな中でまで丸腰で居ろとは言っていないのだ。また、今回の議論はイージスアショアの配備断念が原因ではない。近隣にミサイルを飛ばす国ある事が、全ての原因だ。日本は他国が呆れるぐらい何もしていない。議論すらなされないと言うのは、間抜けもいいところである。もし周辺諸国が異議を唱えるなら、世界中に、最大音量で叫べば良い。戦後平和を守り続けた日本がついに敵国の攻撃を議論せざるを得なくなった。それは、我が国の国土を守るためであり、我が国の主権を保つためである!と。領海侵犯がなければ、ミサイルがなければ議論は必要なかった。何度も声を上げたが改善されなかった。だからこのような議論をせざるを得ないと。」
どうして我が国だけが「遺憾」で終わるのか。隣国は、領海侵犯も、水爆実験も、している!!
議論をやめさせたければ、それらを直ちにやめろと言えない日本は、いずれ他国のものとなる。独裁者に日常を監視されるか、世界中から嫌われる民度の低い政府の下に入るのか。
私はどちらも御免こうむる。
だからこうして表現しているのだ。
誤解がないように言うが、私は個人的には、安易に敵基地攻撃能力を持つべきではないと思っている。それが日本の戦略の幅を狭めることになったり、取りうる全ての非軍事的な手段を見えなくする可能性があるからだ。
しかし、議論は大いになされるべきだ。その中で私も賛成派になるかもしれない。
なぜなら我が国の周囲には、我が国の人民の生命、財産を蹂躙せんとする者たちに囲まれているのだから。
そして、隣国の人たちよ。ひとたび軍備した日本に、あなたがたの政府は成す術がない。そして日本もいつまで平和主義を掲げ続けられるかわからない。いつか暴走し、あなた方を殺戮するやもしれない。それは、今の私達が望むことではない。
あなた達人民が責任を持って、政府に矛を降ろさせよ。さもなくば、悲劇が繰り返されないとも限らないのだ。あなた方も、我々も不幸だった戦後が、もう一度やってくる。
英霊達の死を、
無駄にしてはいけない。
最後まで読んでくださり、
ありがとうございました。