2020年5月25日。政府は過去のしがらみに囚われ、新しい世界に繋がる蜘蛛の糸を断ち切った。
経済活動の修復が急務であることは確かだが、このコロナ禍が変革を推し進めるチャンスでも有ったはずなのだ。
既存の枠組みのいくつかは崩壊してしまうかもしれないが、そこでできてきた新しい需要に吸収されていくことで、日本は新たなステージへ進み、強い競争力と他国に対するアドバンテージを持つはずだったのに。
結局政府は感染拡大に目をつぶり、既存の枠組みを維持させるための税金の使い方を選択してしまったのではないだろうか。
勿論、特定の業種にだけ補助金を出したのでは、既存の「業界」は崩壊し、その販路やノウハウも完全に壊滅する。
どのように金が回るかわからないので、従来の経済活動を回復させることで「業界」の延命を図るというのはわからなくもない。
しかし、どこまで行っても個人にしっかり補償を行えば、食えない人は居なくなり、じっくりと次の仕事を探すこともできたはずだ。その前に、経済活動の再開によりウイルスの拡大がなされ、感染爆発が起こり、死体を体育館に積むような事態が怒らないとも限らない。大事なのは個人への保証だ。
しかし、その時に犠牲になるのは金持ちの金。資本家一人の裕福な生活だけではないのか。そしてその一人も個人としては救済される。
常に「個人」にフォーカスし続けた補助を行っていれば、コロナで生き残れない業界が無くなり、新しい生活様式にマッチした企業が活性化する。そのような変化が起こるはずだったのに。
我が国は絶好のチャンスを逃し、また、政府も対外的な競争力と国民の安全、そして多くの票を失ったのではないか。
次の選挙でわかるだろう。
国民は政策の意図がわからないわけではない。今まで「何も言わぬは賛成の意思表示」だったかもしれないが、我が身の危うさを感じればおそらく物言う国民になるのではないか。コロナが変えたのは民主主義だった、と後世言われるかもしれない。
一部の金持ちを助けるために多くの国民の命を犠牲にして、なおかつ新しい世界への移行をさまたげ、またしても外国の後塵を拝することになるような手しか打てなかったのだから。
また、素人の考えではあるが、経済活動の血液としての支払いを国が融資なりで守り、給料の減額に対し補償を行えば業界も守れたのではないかと少し思ってしまう。
つまりコロナで身動きの取れない業界は冷凍保存にして、構成員の生活だけを守る。不正競争を行わないように取り締まる。この辺が妥当な政策ではなかったのだろうか。
とにかく、感染しないようにきをつけよう。明日はあなたの職場がクラスターになるかもしれない。
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