週末スナック。数え切れないほどの後悔と、生きるために必要な糧。
週末スナックに出かけると、色々な発見が有ります。
とても綺麗な透き通る声で、私のカラオケの点数を軽々とブチ抜いていった、若く見えるけど実は私より10程先輩の御仁がいらっしゃいます。
先日店でお会いしたのですが、いつもなら歌をガンガン歌い合い、歌合戦になるところだったのですが、その日は店の雰囲気が異様でした。
何故かその日は客が少なく、近くの店でオードブルを取って、レギュラーメンバーでのぷちパーティーみたいになってました。で、ママの昔のアルバムとか引っ張り出して見ていたのですが、そこへその歌ウマセンパイが来店しました。
全然歌う雰囲気ではありません。
私もセンパイ氏も話題の引き出しに事欠かないタイプなので、それはそれで構わないのですが、その日は人も少なかった事もあり、私とセンパイ氏二人での深い話になってきました。
何故生きるのか、という重いテーマについて、小一時間、いや、二時間ぐらい話しました。
スナックはバーと違い、普通は眉間にシワを寄せて難しい話をする場所ではありません。ですのでセンパイ氏のような話を振られても、適当に冗談でいなされて終わりだったかもしれません。真面目なセンパイ氏は物分りが良いので、「そらそうか」と思いながら、でも話したい気持ちを持って、いつも酒場をふらついていたのかもしれません。
こと私に関しては、学生時代はそのような討論をするクラブに入っていたぐらいなので、相当に重いテーマでも朝飯前で聞くことができます。ディベートも経験しているので、どちらの立場からでもしっかりとした根拠を持って意見を言えるだけの土台を持っていましたし、そもそも討論が「好き」なタイプなので他の酔客のように毛嫌いすることもありません。
私の中には何故生きるのか、について、明確な答えがいくつかありました。それについて披露していく中で、センパイ氏は自分の育った家庭環境や、信仰、信仰に対する疑問、現在の心境についてかなり深いところまでカミングアウトしてくれました。
あまり細かいところまでは書けませんが、結婚生活の破綻を機に生きる気力を失った時から、生きている意味が見いだせないという思いで仕方がないと言っていました。
確固たるものではないにしろ、信仰を持っているセンパイ氏には科学的、哲学的なアプローチの方が良いだろうと思い、私は「何故生きるか」とは「する意味のない問い」ではないのですか、と聞きました。なぜならこの問いに対するいかなる答えが出ても、結果死ぬ以外は生きるしかないのだから。
生きることは楽しいことばかりではないですが、辛いことばかりでもない。いい人になりたいけど、本能に翻弄され、生きている。
だけど私はそのセンパイ氏が来てくれると楽しい気持ちになるし、一緒に歌うことで私も幸せになるし、私とセンパイ氏の歌声を聞いた主に女性の皆さんも、きっと小さな感動を持って家路につくことができるでしょう。(男性からは嫉妬の対象になるかもw)
ここまで書いていて、後悔しました。
その時は酔っていたのと、眠たかったので、
そこまで頭が回らなかったのでしょう。
今の私なら、間違いなくセンパイ氏に、
「一緒に歌いません?」
と言ったでしょう。
ここは天国でもないけど、
かと言って地獄でもない。
あなたが生きている今日が、
素晴らしい、という思いを
力強く伝えられたのに。。。
最後まで読んでくださり
ありがとうございました。
ここに、一つの答えがあります。