お役に立ちたい!ズレてる私の感性はいかが?

今まで「ズレてる」と言われてきた感性を、「独特の切り口」としてお役に立ててもらえれば、というブログです。

あなたのココロ、癒やします。疲れた人へ。

あなたは今、苦しみの中にいるのでしょうか。悲しみの中にいるのでしょうか。

学校が、仕事が、家庭が、日常が、嫌になってはいないでしょうか。

隣のあの人は、才能が有り、努力を惜しまず、人望があり、資金があり、伴侶に恵まれ、明るく、活力に満ちている。

それに引き換え私は、、、

。。。

人生にはうまく行かないときがあります。明日がわからない時があります。

順風満帆で来ていたのに、このコロナ禍によって生活が一変してしまった人もいるでしょう。

なぜ私だけが、、、と全てを恨みたくなる時もあるでしょう。

人生の目的を失い、楽しいことなんて何もない、そう思ってしまう時もあるでしょう。

生きていることが苦痛な時もあるでしょう。

私も、そんな時が何度かありました。

ひょっとしたら今もそうなのかもしれません。

しかし、私は運良く人の言葉に支えられて、今を幸せに生きることができています。

ですので、その言葉をここにメモしておきます。

何かの拍子にここにたどり着いた人が、夜明けの光を見ることができるために。

1.過去は変えられる

何かの本で読みました。
最初はいやいやいや、過去は変わらんでしょ!と思いましたよ。無駄な買い物、人を傷つけてしまったこと。選択を誤って変な会社に入ってしまったこと。早まった結婚で後悔していること。

全ては起こってしまったことで、その事実自体を変えることは出来ません。

しかし、その意味はどうにでも変えることができます。

まず自分がそのことを忘れてしまった場合、それは無になります。とくに、自分の心のそこに後悔として眠っているだけの思いは、自分がその記憶に鍵をかけてしまうことで無にすることができます。また、過去の間違った選択も、時に幸せへの扉となることもあります。

ブラック企業で踏みつけにされ、言われのない責任を着せられて会社を去らざるを得なくなった友人は、当初落ち込んで居ましたが、起業して今はとても幸せそうです。

人間万事塞翁が馬という言葉があります。また、禍福は糾える縄のごとしという言葉もあります。人間という不完全な理性からは、その出来事を正確に理解することはそんなに簡単ではないのです。

2.「70個のビー玉から1つや2つ取ったったって、わかりゃあしないよ。」

これは浪人時代の予備校の先生が言っていた言葉です。

人生70年、その中の1年2年浪人したからって、人生の価値にそう影響を及ぼすものではない、と、大学受験に失敗した人を慰めるための言葉だったと思います。

しかし、その言葉は奥が深く、今でも心に残っています。

人生は長く、一部分を切り取って落ち込んでいても、何も始まらない。それよりも、その1年、2年を前向きに使うことが重要なんだ、と教えられました。

これは小さな単位にすればより一層深みが増します。一年は365日。ここに365個のビー玉があって、そこから1つや2つ5個や10個抜き取っても、全体の量の変化に気づけるものではないのです。

ただ、それが後悔に囚われ毎日悶々と過ごすことで365個のビー玉全てに傷を付けてしまっては意味がありません。

疲れた時はしっかり休み、新しい日を前向きに過ごすことが重要です。

3.「君の悪いところは、何でも勝手にカテゴライズして、全てを把握した気持ちになるところだ。」

これは学生時代に、私がなんの気なしに友人に放った一言です。彼は良く「〇〇は▲▲というタイプだね」と口癖のように言っており、彼から見える一面で人や、物事を判断するので、飲んだときに軽い気持ちで友人として注意をした言葉でした。

しかし何年か経ったあと、彼から私のその言葉を座右の銘としていると聞かされました。どうやら彼にはその言葉が重く響いたようであり、出来るだけ安易なカテゴライズをしないよう心掛けたり、そのような言葉を吐かないよう気を付けているそうでした。

私は彼に言えるほどよくできた人間ではなく、普段から自分の反省点としていることだったので、より目についただけの事だったのです。

そして、その友人を映し鏡として、自分の嫌な所を見たような気になり、自分への戒めも兼ねて、彼への忠告としただけの事なのです。

「愚者は賢者に学ばず、賢者は愚者からも学ぶ」というのはフランスの哲学者モンテーニュの言葉ですが、彼はまさに謙遜であり、かのモンテーニュの言葉を実践しており、尊敬すべき友人です。

自分が過去や人間関係を思う時、勝手に色々をカテゴライズして不完全な理性で固定してしまうことが、心に大きな枷を負わせている事に気付かなければならないのです。

彼には私があり、私には彼があってその言葉を強く認識することが出来たのは、学生時代の財産の一つです。

モンテーニュはこうも言っています。
「真の自由とは、自分自身に対してあらゆることをなしうるということである」

自分に必要ない枷を嵌めているのであれば、それをすぐに取り外し、自分自身が伸び伸びと生きる事ができるように少しずつ改めていく必要があるのでしょう。

私の経験が読んでくれている人の一筋の光になる事を願って止みません。

今朝の涼し気な空気の中で、
よみがえった爽やかな思い出とともに、
贈ります。

最後まで読んでくださり、
ありがとうございました。

きょう、いきる ちから。

きょう、いきる ちから。

  • 作者:神岡 学
  • 発売日: 2011/12/02
  • メディア: 単行本

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