あたりまえの事ですが。今まで気付かなかった大事な事。
人は一人では生きていけない。
使い古されたフレーズですが、この言葉の持つ重みと、人生のややもすれば多くの人が小学生くらいの頃には身につけていたであろう、とても大事な基本について、今思い知らされています。
何を言っているのか、よくわからないと思うでしょうが、今しばらくのお付き合いを。
まずは私の幼少時代の話から。
私は小さな会社を営む父と母、同居の祖母のもとで育った。男兄弟ばかりの家庭でした。
父と母は会社を営む必要から、本音と建前を上手く使い分けていました。そして、家庭の中でも目に見える部分は綺麗にするが、目に見えない所では、ズボラにしているのを見て育ちました。
そんな中で、体面を繕うための嘘をつくことについてのハードルが異常な程に下がっていたのでしょう。私は大人のような嘘をつく子供になり、周りの少年たちはアホで鈍い存在に見えていました。
「そんなことワザワザ自分から言わなくてもいいのに、、、」とか、「そんなこと適当な事を言って誤魔化せばいいのに、、」とか。
私はその時気が付かなかったのです。
大人の付き合いと、子供の付き合いは、「距離感」が全く違うと言うことを。
大人は互いの懐に入り込む事はよっぽどありません。しかし子供の付き合いは至近距離です。
距離が近くなるとともに、等身大の自分が剥き出しになり、事前に作っていた幻に押し潰されそうになる感覚を何度も味わう事になりました。
それでも、幼い頃に覚えた癖は治らず、私は第一印象を高めるために自分をよく見せ、追々深まっていく交友関係と共に、その継続を面倒に思うようになりました。
そんな私にすら、面白みを覚え、普通に付き合ってくれる友人がいました。彼らは私に色々な助言をくれました。自分を良く見せようとする事についても。
しかし、頭ではわかっているのですが、改善することは出来ませんでした。
このSNS全盛の世の中にあり、その事を痛感するようになりました。SNSは至近距離の付き合いです。見ず知らずの人に、一気に自分の本性をあかし、本性同士でぶつかるナマモノのコミュニケーションでした。
いまでも、恐らく私は自分を偽っているのでしょう。昔ほどではないとしても、ナマミで人と付き合う事が恐怖になっているのかもしれません。
寂しさにかられてスナックの重い扉を開けたとき、私は歌のうまい、尊敬できる人格者になることが出来ます。しかし、それは本当の自分ではないのです。家では自堕落な生活をおくり、仕事もその日やり切るのがやっとで将来のビジョンなんて何にもない。
スナックで知り合った人たちにも、そこでの自分の像を壊さないように、深い付き合いが出来ないのです。
他人もそうであると思えれば幾らか気楽なのかもしれませんが、実際はそうではありません。そうでない人が多くて眩しいのです。
今、ひとり居酒屋で飲んでいます。
生ビールとくらげポン酢、さんまの塩焼き。
今シーズン初さんまです。
飲んで、ボーッと考え事をしていると、
色んな後悔が浮かんでは消えていきます。
受け容れるにはあまりにも悲しい人生。
これから好転させる為にも、
自分の悪い癖から脱却しなければいけない。
最後まで読んでくださり、
ありがとうございました。