お役に立ちたい!ズレてる私の感性はいかが?

今まで「ズレてる」と言われてきた感性を、「独特の切り口」としてお役に立ててもらえれば、というブログです。

核家族化に対して、司法の役割の変更を急ぐ必要がある。

昨日の続きであります。

 

日本では核家族化が進むに連れて、

かつての大家族が持っていたメリットの多くを社会インフラに依存するようになってしまったようです。

乳幼児の保育については母とジジババの役割だったのが、社会の変化で母もジジババも一気に居なくなり、子供だけが取り残されています。そこで、保育所の出番となるわけですが、あくまで家庭の補助機関に過ぎません。

 

政財界がそれを推薦するのなら政治はセーフティーネットをキチンと用意するべきです。しかし、それは比較的ダイレクトに国民の声が届く政治の世界のこと。我々の投票で変えていかなければなりません。

 

さらに法律も古い大家族のときの法律をそのまま同じ法理で適用して、問題を生んでいると思います。当然政治にも責任がありますが、簡単に法律は変えられません。

 

それに、だからこそ、法律の運用は政治の責任ではなく、司法の責任だと思います。司法が最大限実体に沿った解釈を行い、実体にそぐわない法律をバンバン時代遅れであると判じ、立法府へのプレッシャーをかけない限りは世の中は変わりません。

 

政治家はテレビに出ますが、司法関係者はテレビに出ません。

公平を守ることは大事かもしれませんが、実態を訴えるのは現場の人にしかできません。

丁寧に説明をしながら、実態を詳らかにしてほしいと思う次第です。

 

沈黙する司法は知る権利を犯している憲法違反であると言うべきでしょう。

 

当事者の近くで、神の目で司法の実務を見ると、コレならやらないほうがマシで、じゃんけんかなんかで決めたほうがいいのでは?とまで思いました。

 

皆さんはどうでしょうか。

ミニモニ。ジャンケンぴょん!

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