お役に立ちたい!ズレてる私の感性はいかが?

今まで「ズレてる」と言われてきた感性を、「独特の切り口」としてお役に立ててもらえれば、というブログです。

本当はみんな、「優しい世界」を求めている!

「優しい世界」

言葉で書いてしまうのは簡単ですが、それが何なのか説明するのは容易ではないので、のっけから大変な事ではありますが、しばらくのお付き合いを。
今回、自分でもいいこと書いたと思っていますので。

さて、「優しい世界」ですが、私が最近この言葉に触れたのはいわゆる「日常系アニメ」の中でです。そこでは可愛いキャラクター達が繰り広げるドタバタはありますが、エゲツない悪意や絶望、残酷な表現など、読者にストレスを与えるものの一切がありません。

そして、私達リアルな人間も、普通に生きている上では、そのような世界の住人なのではないかと思うのです。

私達の中で、誰が悲劇を望むのでしょうか。苦痛の中に生きたいと思う人が居るのでしょうか。

あるとしたら人一倍強い欲のために、その裏返しとしての苦痛や、歪んだ未達成感からなる他者への攻撃なのではないでしょうか。

事実は小説より奇なり、というような事態も例外的にはありますが、基本、そのような悲劇の多くはフィクションの中で描かれます。

特に小説というジャンルでは昔から多くの悲劇がありました。最近ではテレビドラマや漫画、アニメの世界でもいわゆる「読後鬱」という言葉が使われるような作品が多く登場しています。誰もが救われない世界、と言えばわかりやすいでしょうか。

これは従来のプロットでは「ありがち」となったフィクションの世界が強い刺激を求めた結果、踏み込んでは行けない領域に踏み込んでしまったような、そんな気がします。

例えるなら、従来のラーメンでは満足できず、高脂質、塩分過多の濃い味ラーメンが、ラーメンの主戦場になってしまったり、

焼きそばの辛さや量についても、常人ではとても対処しきれない辛さや量の焼きそばが販売されたり(これはある一社の暴走と言えばそこまでかもしれませんが、、、)

とにかく刺激を求めるがあまり、体に害を及ぼすと解っていながら、消費せずには居られない、そんな状態になっているのでは無いでしょうか。

そして、小説などフィクションのそれは、ダメージが精神的なものであるが故に、認知されにくく、無意識の裡に人々の心に良くない種を植え続けて来たのではないかと思っています。

それに対してはよく、現実とフィクションの区別のつかないやつは駄目だ、等の批判が聞かれますが、長期に渡る無意識のうちの変容については如何ともし難いのではないかと思っています。

そして、今限られた分野でではありますが、一周回って「優しい世界」が求められはじめている、と思うのです。

決して理想郷ではないかもしれませんが、以前の人類が生きていた精神性がそこにあります。

現実世界においては、人の生み出した悪魔がまだ世の中を闊歩しており、とてもではないがすぐに優しい世界に変化することができるとは思いません。

しかし、本当に丁寧に作られた薄味の、見た目美しい和食に例えればよいのでしょうか、そのような作品がフィクションに増えてくることで、本来あるべき、良き精神性を取り戻していくことができるのではないでしょうか。

願わくば、全ての人が必要以上の刺激を求めす、「優しい世界」の日常の中で生活して行けることを願ってやみません。

そうそう「優しい世界」ではいろんな思考がシンプルです。みんな協力的であればシンプルな思考で問題が解決されるのは決してフィクションだから、というわけでは無さそうです。

ミスチルが「複雑にこんがらがった社会だ」と歌ってから25年が経ちましたが、現実に先駆けて、フィクション世界の一角で、シンプルな世界を描く社会実験が行われているのかもしれません。

本当に、多くの人が強い刺激に懲りて「優しい世界」へ立ち返り、心身ともに健康で愛に満ちた社会が出来ますように。

「萌え」だけで片付けるには「勿体ない」「Cool Japan」の真骨頂がここにある。


最後まで読んでくださり、
ありがとうございました。

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