お役に立ちたい!ズレてる私の感性はいかが?

今まで「ズレてる」と言われてきた感性を、「独特の切り口」としてお役に立ててもらえれば、というブログです。

目の前の幸せを掴みに行けば、人生は拓けてゆく。

皆さんは『めぞん一刻』という漫画をご存知でしょうか。名作なので、名前は知っている方が多いと思います。作品は1980年から1987年迄連載されたものであるから、今の若い人は知らないかもしれません。携帯なんかなかった時代の話ですが、軽快なストーリーなので楽しく読めると思います(最後にAmazonのリンクを貼っときますので興味があれば是非読んでください)。

 

学生時代の私は、奥手な性分であったので、恋愛とはかなり距離を置いていました。逆に、それ以外の事が楽しかったから、というのもあり、それで満足していたという事もあったかもしれません。

 

しかし、周りで幸せそうにしているカップルを見ていると、自分もそのような幸せを享受出来たら良いのに、という「恋に恋する」ような状態になる事も多かったです。

 

ただ、その裏では面倒なこともたくさんあるな、と感じ、一歩踏み出すには及びませんでした。自分の中の理想として、「運命的な出会い」というのはもっと劇的で、直感的なものであり、自分の欲から発するものではない、という思いが強くありました。

 

良く言えばロマンチストでした。悪く言えば、現実が見えていない、ということだったのでしょう。

 

そんな私はおしゃれな恋愛小説や、ドラマではなく、泥臭いこの漫画に動かされました。

 

この漫画の設定が妙にハマり、ロマンチストだった私の目のまえにあった虹色のフィルムが一瞬にして取り去られ、現実の幸せが見えるようになりました。

 

幸せってなんだろう。人を愛するってどういうことだろう。ヘンテコな設定の中に、等身大の人間ドラマが描かれていて、学生と社会人の間時期、私と主人公の悩みはシンクロしていました。

 

自分の気持ちに正直な主人公の動きは、人生はどのように拓けていくのかという、一種の悟りのようなものを与えてくれました。

私は、理想に縛られるあまり、自分が人間であることを否定してやいないか、という疑問にかられ、私は自分の心に正直に行動しました。

 

結局、それは私にとても大きな幸せをもたらしました。勿論、いい事ばかりではありませんが、究極、人間は自分のために生きることは虚しい、本当の人生の喜びは人のために生きることだと言う事を実感出来たからです。

私は、それまで「愛」と言う言葉の意味を知らずにいましたが、身を持って感じることが出来るようになりました。

 

欲だけでもなく、理想だけでもない。

 

多くの時間を通して、自分の幸せが相手の幸せとなる瞬間を、それまで知らずにいたのかもしれません。

 

等身大の自分を捉え、人間として持つ駄目な部分を受け入れたときに「愛」が芽生えたのかと思うと複雑な気持ちです。

 

そして、友人の中にはそのような愛に溢れた人が何人かいることに気づき、本当に良い教育を受けたのだろうと羨ましく思ったりもしました。

 

ただ、私の場合は欲が強く、その反動で自分を過度に押さえ込み、無にしてしまっていたのかもしれません。

 

この年になり、人様のブログを読むにつけ、当時の私と同じ悩みを持っている人が居るような気がします。

 

そんな人には、オススメしたい漫画です。

一つ一つ、目の前の幸せを掴みに行けば、良くも悪くも人生は拓けていきます。

 

今の生き方に虚しさを感じている人は、その冒険に乗り出してみてはどうでしょうか。人生は一回きり。山あり、谷あり、泣いて、笑ってになるかもしれません。実現し得なかったであろう理想とは程遠い人生はではありますが、でも私は今それなりに幸せですし、「無」よりも良かったと感じています。

 

最後まで読んでくださり、

ありがとうございました。

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