山上某が安倍元首相を銃撃した事件でもって、その後、政治家と宗教団体の繋がりが明らかになってきております。
あのタイミングで山上某の暴発がなかったら、これらの事実はどうなっていたのかと考えるとかなり背筋が寒くなります。
さておき、今後です。
山上某については裁判で然るべき刑が定められることでしょう。
では、宗教団体と政治家の問題についてはどうするのでしょう。
政治家が特定の団体から無償の選挙運動という労働の提供を受けているのだから、これをなんとかして上げてほしいと思います。
検事総長も、過去の通例に従っていてはいけません。社会的な影響を重く見て、然るべき動きをするべきでしょう。
もちろん、結果失敗するかもしれませんが、動くべきです。
理由は2つあります。
一つは宗教団体についての牽制になります。選挙の際に宗教団体が無償で協力した事により、政治家がその後その宗教団体に忖度していることはこれまでの報道でほぼ間違いないでしょう。
にもかかわらず、それを放置していてはこの国の選挙は金を持った外国に見えないところで操られてしまう事になります。
その入り口である選挙活動への動員については、正当な対価を政治資金とすることが必要になってくるでしょう。
2つ目は、検察の名誉のためです。
ここまでの事が起こっておきながら、検察は宗教団体の協力を受けた政治家を収賄で挙げられない。もちろん教団を贈賄で挙げられないとなると、検察の権威は地に落ちます。
そして無敵の人の動向も考える必要があります。無敵の人の照準は国家の要人に向いています。それは官僚も例外ではないでしょう。きちんとした事をしていないとなると、次に狙われるかもしれません。
山上某について報道されている情報を見る限り、彼には情状酌量の余地があるかも知れません。コトがコトだけに忖度が働くかもしれませんが、そうするとその判断が我慢ならないと行動を起こす人が出るかもしれません。
それは山上某の行動があまりにも多くの人の共感を呼んでしまったからだとおもいます。動機も致し方なし、これまでの無辜の市民を巻き込んだテロと違い、ターゲット選びの方も関係あると目される安倍さんだけをターゲットに暗殺するという方法で、大きなインパクトを世の中に与えました。
そのメッセージを軽視せず、是々非々で事態に当たりながらしっかりと国民の生活を守り、そして民主主義をしっかりと機能する様に尽力していただきたいと願うだけです。
無敵の人に世界を変えられることは、恥ずかしい事だと理解していただき、今後そういう人が出ないように世の中の理不尽を取り除いていってほしいものです。立法、そして行政の一部が腐りだしています。ここは行政、司法が頑張らなくてはなりません。
前例に囚われることなく、その構造にメスを入れていってほしいものだと思いますし、それをしなければまた無敵の人を活気付かせてしまうことになるでしょう。
果たして、私の言っていることは妄想でしょうか。
最後まで読んで下さり、
ありがとうございました。