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禁止の価値観からは新しい基準を作り出すことは不可能。こんな組織、無くなれば良い。

コロナ感染怖がる子供に「あきらめて」 大阪法務局の返答に批判(産経新聞) - Yahoo!ニュース

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コロナ感染怖がる子供に「あきらめて」 大阪法務局の返答に批判

ヘッドラインと

問題になったのは法務省が全国で展開する「子どもの人権SOSミニレター」事業。大阪府吹田市立小の男児(7)が「密な学校がこわい。オンライン授業を行ってほしい」という趣旨の手紙を書いたところ、人権擁護委員から「お友だちといっしょにいるのが好きじゃないのかな?」「学校へ行かないとそんしちゃうかもね」「あきらめて、学校でがんばってみて」などと記された返事届いた。

ちと長めの引用になりますが、本文の一部を抜き出しておきます。

 

上記の部分以外にも、「家で一人っきりで授業もいいけどふけんこうになっちゃうよ」などと、これまでの苦肉の策のオンライン授業を全否定するような乱暴な文章も垣間見られました。この子が、再度オンライン授業を受けなければならなくなったとき、担当者は何というのか見てみたいです。

 

嫌味はこれぐらいにしておきますが、やはり法務局は「お上」の考えが強いな、と感じました。

 

文章の端々から「黙って従え、文句を言うな」というテーマを読み取ることができます。それに枝葉をつけていこうとするので、上のような乱暴な理屈にならざるを得ないのでしょう。

 

「この子の不安を取り除いてあげたい」がテーマであれば、同じ結論であっても、こんな文章にはならなかったはずです。

 

同じ、学校での授業をより良いものとして勧めるにしても、以前のオンライン授業への配慮や、学校の安全対策へのねぎらいなど、もっと子供や現場で汗を書いている人たち、そして質問者に寄り添った書き方はできたはずでしょう。それとも法務局には国語のワカラン阿呆ばかりなのでしょうか。それはそれで別の問題ではあります。

 

私は以前から裁判所の離婚訴訟問題について書いてきました。裁判所という組織が如何に血の通っていないものかを体感しているからです。

 

ITの世界での「仕様です」と同様、言われた相手は「いやいやいや、そうじゃなくって」とその乱暴な答えに立腹することはあっても、納得することはまずないでしょう。

 

つまり、法に関わる組織は「止揚」する能力がないのです。勿論最終的なルール変更は立法が行うのですが、圧倒的少数者である法的機関の利用者の声だけで立法を期待しているのであれば、そこに所属している人間はヒトではなく悪魔でしょう。

 

その組織に属している人が、不満や、不均衡、時代錯誤性などを指摘し、議論の発端にしなければ、いつまで経っても問題解決に至りません。

 

物言わぬ司法の悪魔性をよく理解してほしいと思います。

 

そのバランスの無さが今回は小学生の心を深く落胆させたことでしょう。(小学生が聡明であったので、呆れるだけで傷つかなかったことが何よりの救い、と言わざるを得ないのが悲しい。)

「『なんでやねん』と怒ってました。自分の言葉で一生懸命書いて相談したのに、答えは『今は、あきらめて』。怒って当然です

別の記事には上のようにありました。怒りというより呆れでしょうね。「なんでやねん」ってボケに対するツッコミですやん(笑)

笑ってばかりもいられない。

Somebody Stole My Gal

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