「イジる」という言葉を使う人間には石を投げよう。
いつの頃からか、お笑い芸人を中心に「イジる」という言葉が使われるようになった。
お笑い芸人は、本当は舞台でバンバン笑いを取ったり、バラエティー番組の司会をしたりしたいに決まっている。
しかし、芸人もたくさんいる中で、その地位を得られるのはごく一部に過ぎない。しかもサラリーマン化したテレビ局では、数字でしか番組づくりが出来ないためどこを切っても同じ出演者、同じ内容、同じパターンのものばかり。
だから、今良い地位にいる「大御所」に悪口を言われたり、秘密を暴露されたり、嫌なことをやらされたりしても、仕事が入るなら良い、という感覚が出てきた。とんねるず全盛期の「おいしい」状態だったと思う。
そして「イジり」だ。
先にも書いたが、悪口を言われたり、秘密を暴露されたり、嫌なことをやらされたりすることを指すと私は思っている。
これは芸人でも「渋々」それを甘んじているに過ぎない。
それを一般社会に持ち込んではいけない事ぐらいは少し考えれば分かりそうなものだ。お互いの関係で、気心もしれており、これぐらいは冗談の範囲と「互いに」推量られる関係であれば「イジる」のも良いだろう。
しかし、一方的に「これぐらいのイジりで怒るなよ」と言うようなやつには石を投げるようにしなければならない。
こういう奴が一番の害悪だ。
彼は自分を安全なところに置き、その基準から外れた者を面白半分に攻撃する。それもチマチマとした嫌がらせだ。
面白半分なので罪の意識も無い。
自分が何をしたかも覚えていないときがある。
だから、キーワードは「イジる」だ。
このキーワードには要注意で、学校の教師がこの言葉を聞いた瞬間、イジメ有りと認識できるように通達をすべきだし、PTAも「イジる」という言葉が出て来た段階でそのグループを注意深く観察するなどが必要だ。
最近、いじめでは無く、犯罪組織かと思うような事を教育の現場に持ち込まれ、疲弊している教師がいると聞く。
そんなもんはその生徒が悪いに決まってるから証拠を取って告発しろ。生徒の未来?学校で甘やかしている場合ではない。きっちりと落とし前つけさせろ。それが一番そいつの未来の為だ。
で、イジメだ。
先に書いた犯罪行為の影となり、あまり目立たなくなった、というか、大したことないように錯覚している「イジる」系のイジメの問題だ。
これこそ陰湿で許すべきではないが、中々日の目を見にくい。
しかし便利なリトマス試験紙を考えついた。
要は、そのイジメを行なう者に学校の教師が同じことをしても耐えられるかを見れば良い。もちろん、イジメを行なう期間も大事だ。一回ではなく長期に渡ってイジメが行われていたなら、教師からの制裁も長期に及ぶ必要がある。教師に難しければ文部科学省なりが特別チームを結成すれば良い。イジメを行なう者が訴えるなり何なりするのであれば、自分がやられたら「嫌なこと」を見下している他人に「強要している」に過ぎないことを突きつけてやれば良い。
結局自分がやられたら嫌なことは人にやってはいけない。
彼がなぜ他人に愛情を持って接することができないか。それはこの競争一辺倒の社会、教育の在り方にも問題があることを忘れてはいけない。
そして、学校に予算と余裕を与え、教師にも予算と余裕を与えるべきだろう。反面、社会的に問題のある教師は徹底的にマークして、問題を起こさせないように指導するべきだろう。そのための時間と予算を確保することが今後の教育には欠かせないだろう。
私の周りにも「イジる」という言葉を軽々に使う者が居るので、その度上のような事をまくし立て、これから使わないと約束してもらっている。
理由がわかるとすべての人が納得してくれる。かんたんなことだと思う。