多くは書きたくないが、
この不安は私だけではないはず。
おそらくほとんどの人が、
「ここで解除したら、また増えるよな」
と、思ったはずだろう。
でも、いろんなしがらみから、
解除せざるを得なかった。
その理屈はわかる。
私も、
「仕方ない」
と、思っていたし、
会社員をしているので、
少しでも日常が戻る事自体は、
ホッとする思いだった。
私のように、心の中の大部分を第二波の不安に占められながら、「仕方ない」と思っている人間が多いのはわかるが、議員、知識人、マスコミのコメンテイター等から、慎重論が殊の外少なかったのは、正直驚きだった。
しかし、思えば、我々が楽に手に入れられる情報はかなり強いバイアスがかかっているというのは世の常識になりつつあるし、最近は発信者も開き直っているので、より注意な必要だ。
つまり、この件について、産業が活性化しないとお金が稼げない人たちには自由な言論、正しい情報は期待できないと言うことだ。
それを割り引いても少ない。
専門者会議の議事録が残っていないことが問題となっている。野党は体制としておかしいではないかと攻め立てるが、本質はそこではない。この件は現在進行形の問題だ。
まず優先的に行われるべきは
普通に考えれば自明に近い、
緊急事態宣言解除と第二波の到来について、
専門家会議はどのような基準で、
どの程度の安全性を見込んでいたのか、
それを明確にすることではないだろうか。
今から国会に呼ぶぐらいの建設的な議論を行えば国民の応援も得られるかもしれない。
ここを有耶無耶にしたら、悲惨な第二波をボロボロになりながらやり過ごした後に、第三波に怯えることになるだろう。
志村さんが亡くなるなど、
不安の高まりを受けて、
国民は自粛を受け入れることができた。
働き方改革もそう、
国は犠牲がないと動けない構造に
なってしまいつつある。
しかしそれも私達全員の責任である。
若い世代の人たちが投票へ行き、
未来志向の政治家をどんどん国会へ送り出していかなければ、いわゆる「事なかれ主義」「泥縄式」の政治家の支配から抜け出せないのではないだろうか。
今は若い人の投票率が低い。
当選しようと思った場合、年寄り向けの政策を訴え、行う方が当選しやすい。
これでは未来志向の政治家はなかなか打席に立つことが出来ない。
そして年配の方々や、我らオッサン世代も、未来志向の政治家を選んで行かなければ、この国はすべてを失うのではないだろうか。
主(あるじ)のだらしない家は荒れ、
やがては朽ちていく。
民主主義は民(たみ)が主(あるじ)の主義だ。主が正しく権利を行使して責任を全うしなければ、あるいは貧しい国になり、あるいは競争力を失い他国の侵略を受け属国になり、あるいは国家の滅亡、民族の滅亡という結末にたどり着くという事を、我々は強く認識しなければいけない。
主は主であることを他人任せにしてはいけない。そうなるとかつてのドイツのように独裁者に国を乗っ取られることになる。
最後まで読んでくださり、
ありがとうございます。