お役に立ちたい!ズレてる私の感性はいかが?

今まで「ズレてる」と言われてきた感性を、「独特の切り口」としてお役に立ててもらえれば、というブログです。

4月29日に大正駅でヨーグルトを撮る人の心情と日本人の文化的優位

おはようございます。

 

昨日、天皇陛下の即位の儀式をテレビで見た後で少し特番を見ていましたが、すぐにネタが尽きたのかワイドショーでよくある同じことの繰り返し地獄に引き込まれそうになったのでそっとテレビの電源を落としました。

 

そしてボーッとネットでニュースを見ていたのですが、その中でちと考えさせられる記事がありました。

 

大阪環状線大正駅という駅があります。

大阪の下町で沖縄の方が多く住んでいて沖縄料理の店があったり、近くに大阪ドーム(今は京セラドーム大阪)がある、そんな駅です。

で、記事によると、その駅で明治のRー1というヨーグルトを写真に収めている人が何人か居たので、はて?と思い話を聞くと、

 

明治のヨーグルト

大正駅

昭和の日

平成最後

Rー1(ヨーグルトの商品名:令和1年に見立てる)

という遊びということだったそうな。

 

最初は「上手いこと言うなァ」と思った程度でしたが、そのうち不思議な感覚に包まれました。

もちろん最初に「いい事思いついた!」みたいな人がTwitterなりでつぶやいて、近所の人で盛り上がった話だとは思うのですが、その写真を撮っていた人たちは、一文の得にもならないその行為の為に、電車に乗って駅へやって来て、ヨーグルトを買って写真を取るわけですよ。

そして尚不思議なのは、そのニュースを見た私の心の中に、少し、ほんの僅かではありますが「羨ましい」という気持ちが芽生えていたと言うことです。

 

元号を否定する人の中には、西暦との変換がややこしい、とか色々言われますが、高々5つの数字を覚えて足し算引き算するだけです。

面倒くさいと思った事もないし、よく言えば算数のトレーニングにもなります。

 

ともあれ、写真を撮る行為は歴史の流れの中に自分がいる事を示す記念であり、そのことに面白さや喜びを感じることができ、何よりその文化的背景である「元号」という文化を維持している事に、若干の誇りと感謝を感じる訳です。

 

何しろ本家では既に廃れている文化であり、多くの本家の人々が「羨ましい」と言っていることからも、良い側面を持つ文化である事は間違いない訳です。

 

元号と言うものは、時間という切れ目のないものを時代という一つの束として語り伝え、そして新しい時代に期待、希望を膨らませる事が出来るという、我が国の独自の文化的優位であると言えるのではないでしょうか。

 

皆でBeautiful Harmonyして、良い令和時代にして行きましょう!