お役に立ちたい!ズレてる私の感性はいかが?

今まで「ズレてる」と言われてきた感性を、「独特の切り口」としてお役に立ててもらえれば、というブログです。

都会で生まれ育った私の故郷は、ビルの谷間の公園に凝縮されていました。

皆さんこんにちは!

おかしなおやじです!!

 

お題に挑戦です!

https://www.satofull.jp

私は幼少期から15年ぐらいずつで引っ越しをしており、

故郷と呼べるところがありません。

 

最初に生まれ育ったのが大阪の大都会でした。

それでも大阪城公園内の池でヤゴを取ったり、

堀で釣りをしたりしたり自然に親しむことはありましたが

いわゆる「ウサギ追いし」という故郷ではありませんでした。

 

私の夏の原風景は小学校の近くにある児童公園です。

早朝に集まり、

ラジオ体操をして、友達と遊ぶ約束をします。

一端家で朝飯を食い、今日の予定を親に告げ、

一目散に公園に向かいます。

 

そこで野球をしたり、サッカーをしたり、虫を取ったり、

(都会でも結局子供はそういう遊びをする)

近所の駄菓子屋でチューチューを買い食いしたり、

学校のプール開放へ行ったり、

そして夕方まで遊ぶ。

勿論つまらない宿題などはしない。

今と違って、1日先生に怒られたらそれで開放という緩い時代だったので、

自分の好きな事にエネルギーを集中できたと思います。

 

友達が旅行などに行って遊べない日はテレビで高校野球を見て

当時桑田、清原の活躍を応援していました。

ただ、私は甲子園まで野球を見に行くことは有りませんでした。

近所に「日生球場」というのがあり、近鉄の試合をやっていたので、

それを数回見に行ったことがある程度です。

当時はまだ阪急、南海がパリーグに居り、大阪は野球の街でした。

そういえば、大阪球場スケートリンクにもよく行きました。

甘酸っぱい思い出もあります。多分今はもう無いと思います。

(2001年に閉鎖されたようですね・・・)

大阪城公園や中の島でも遊びました。

春の桜ノ宮の堤防の桜の花見、

初夏の生玉祭り、盛夏の天神祭りなんかも幼少期の思い出に色濃く残っています。

そして親に「あそこに行ってみたい」と桜ノ宮のネオンを指さし、

大声で訴えていた自分・・・・(恥)。

あと、地元感があるのが全国的に有名な天神橋筋商店街です。

入口のアーケードの無い所にある天ぷら屋さんが行きつけのお店でした。

そこへ行くといつも20円の平天を何枚か買い、駄菓子のように食べ歩いていました。

天満宮で鳩に餌をやったり、そういえば楽しい思い出です。

なつかしく思い、今グーグルのストリートビューを見てみましたが、

あの天ぷら屋さんと思しきものは見当たりませんでした、、、

今もやってたらいいな、、、、

 

私は中学卒業と同時に引っ越しましたが、

高校時代にも時々当時の友達と遊ぶために帰った来た時には、

OBPや難波、天王寺で遊んだりもしました。

 

しかし、地元、、、というよりは「お客様」になっていました。

もうそこは私の地元ではありません。

 

お盆も終わりのこの時期に

なつかしい思い出に浸ることが出来ました。

感謝。

 

最後まで読んでくださり、

ありがとうございました。