対案なき批判はためにならない。協力して平安を求めるべき。
政府の支持率が落ちています。
これは思うようにならない新型コロナウイルスへの不安を表していることは言うまでもありませんが、私達の無責任な批判が政府の手足を縛っていることを忘れてはいけません。
近く選挙を控え、政治家が世論に阿る事をあまり強く批判することは出来ません。彼らも継続して政策を行うためには議席を確保することが必要不可欠だからです。
批判以外にも私達にできることはあるはずです。
自らが感染予防を徹底することは当然として、周囲に対して感染予防を呼びかけることは勿論、それぞれの可能な範囲で対案を示したり、政府の耳に入るような形での提言は可能な筈です。
私達が忘れてはいけないことは、私達の選択の責任は私達にあり、結果はすべて私達の選択、行動に帰するということです。
そして、政府が無責任な批判により大胆な政策を行うことができなくなった場合、政治は膠着し、本来救われた筈の命が失われ、経済、外交、国防においても他国にその間隙を突かしめる事になります。
私達は今一度行動を見直す必要があります。批判の対象は何であるのか。
政府に大胆な政策を取らせなくしているのは誰なのか。
私が思うに、それは無責任な批判と、それを助長する報道であり、政府の失策が仮にあったとしたならば、それを事前に看破し、国民に監視の目を向けさせることに失敗した報道機関にこそあると言えるでしょう。
私達の批判すべきはそれを看破しえず、後出しジャンケンのように政権批判を行う報道機関であるでしょう。
私達はそれら報道機関に対し、国民に本当に必要な情報は何かを明確にして提供し、現在の政策の行方を予測し、明確に提言を行い、国民に熟考することを求め、私達のためになる世論を形成していくよう、求めていかなければなりません。
そして報道機関に対し、政権に対する対案なき無責任な批判は政権を弱らせ、ウイルス対策だけでなく、経済政策、外交、国防、その他の政策を膠着させることを認識させ、その責任の、一端が報道機関にあることを明確に定義しなければいけないと思います。
選挙期間には報道は各党に偏りなく主張を述べさせているのに対して、それ以外の期間は政権に反する報道は多い反面、政権に賛成する意見の報道についてあまりに短い時間しか報道していないように感じます。
勿論それぞれの報道機関が持つカラーというものがあっても良いかもしれませんが、それぞれが行った報道によって形成されたであろう世論に対して、全く無責任では居られないということを国民がしっかりと認識し、報道機関を監視し、提言を行う必要があるでしょう。
私達は民主国家の住人です。
政治の主権を握っているからこそ、私達各個人がその結果に責任を持っているのです。
私達自身、そしてあとに来る子供や孫の世代に本当にためになる政治を、私達が行っていかなければなりません。
無責任な国民はやがて独裁を受け入れ、悲劇に歯軋りをすることになるのは繰り返される歴史の必然です。
私達が最低限しなければいけないことを自覚し、より良い明日をつくっていく気概を持たなければなりません。
行動を変えよう。
無責任な批判ではなく、できる提言を行い、影響力を発揮していこう。
- 作者:スティーブン・レビツキー,ダニエル・ジブラット
- 発売日: 2018/09/27
- メディア: 単行本
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