ニュースの話です。
ポケベルのサービスが終了になるというニュースを見ました。
mainichi.jpしかし、実は天下のドコモのサービスは2007年に終了しているのです。
今回終了になったのは、それでもまだ、わずか1500人の利用者の為に首都圏のみでサービスを行っていた東京テレメッセージ社のサービスです。
これによりこの世からポケベルが完全に無くなってしまうのです。
各地でおもろいニュースが上がってました。
遺影に「1141064」 30日終了、ポケベル葬:朝日新聞デジタル
9月29日24時から「ポケベル」最後の一日をみんなで見守るニコニコ生放送 視聴者からのメッセージを受信して表示 - ねとらぼ
わたしも高校時代、親が会社をしていたので、父が使っていたお古のポケベルを持たされました。ビジネス用途のポケベルは、会社が社員に持たせ、緊急の用の時には表示の電話番号に電話せよ、というルールの限られた情報だけを伝える通信ツールでした。
はっきり言って、周りで持っているのは最先端を行く年上の彼氏がいるちょいワルの女子高生(まだコギャルは発生していなかった)だけでした。高校2年ぐらいの事でしたでしょうか。
因みに私が持っていたポケベルは真っ黒で側面に数字が表示されるだけの武骨なデザインのモノでした。因みに女子高生が持っていたのも、灰色で数字しか表示されないようなやつでした。
ニュースにもあるように0840「おはよう」1141064「あいしてるよ」などという他愛もないやり取りを楽しんだものです。(別に恋人同士だったわけでは無いが、彼女らにとってベルがピーピー言うのがステータスだったようで、私のようなものでも重宝がられました。)そのころの機種はピーピーしか言わず、着信音なんて選べませんでした。
それが、1年経つと、カワイイ(キティーちゃんのやつとかありました。)、薄っぺらいポケベルが出てきて、数字だけでなくいわゆる「ポケベル打ち」で文字まで送れるという代物に変わり、着信音が選べたりするようになりました。「ベルカード」という自分の機種のポケベル打ちと自分のベル番を書いたものを名刺代わりに配るというのが、大学の1年ぐらいまで続きました。
そのころ私は大学受験で失敗し、1年の浪人生活を送ったわけですが、その武骨なポケベルのおかげで女性の友達は沢山おりました。既に当時でもレガシーデバイスだった私のベルは女子高生、女子浪人生、女子大生に大ウケでここぞの時には鉄板ネタで温存したり、大学に入ってからはそれがゆえにコンパに呼ばれ、連絡先だけは沢山GETできました。
しかし、大学2年にもなると、皆携帯(そのころはPHSも多かった)を持ち始め、ポケベルを持っている人は少数派になりました。私は父からお古のPHSが回ってきたので、誰よりも早くポケベルを卒業することになりました。(ただし、その時は通話料が高くて、電話をするために外に出て、テレカで電話、、、という面倒な事をしなければならなかったので、PHSのポケベル機能が役に立ったと思います)。
その後、メールにとってかわられる機能では有りますが、通話料が高い時代にはそのような通信が安価で使いやすかったことを思い出し、ものが無くても工夫して自分たちが楽しめるようにする、当時の気風を懐かしく思います。
今は色々なものが揃い過ぎて、逆に工夫の余地が無いような状況なので、身近にこのようなイノベーションを起こす喜びを体感することが少なくなってきたのではないでしょうか。
数字しか表示できないポケベルをショートメッセージの通信に使ってしまうというポケベルの利用法は、マーケットインのイノベーションによりニーズが確信され製品が開発された良い例ではないでしょうか。(逆に2007年に黒船としてやってくるiphoneは、一人の天才によってもたらされたプロダクトアウトのイノベーションの良い例ということで対照的に感じました。そのころ産声を上げつつあったモバイルコンピューティングの爆発というニーズに対し、ブラックベリーやシャープのZERO3シリーズという変態ガジェットが応えきれていない状況での登場はセンセーショナルでした。)ちなみに私はZERO3シリーズを3代にわたって使っていました(W-ZERO3[es]、Advanced/W-ZERO3 [es]、WILLCOM 03これらは疑いなき名機です)。
「こめに、こめに」これ、覚えてますか?