お役に立ちたい!ズレてる私の感性はいかが?

今まで「ズレてる」と言われてきた感性を、「独特の切り口」としてお役に立ててもらえれば、というブログです。

大崎事件の再審棄却のニュースを見て思う

大崎事件の第三次再審請求が棄却された。この再審請求は、懲役10年の刑期を全うして出所した後に起こされたものと言うことで興味深いです。

もちろん国家は限られたリソースの中で訴えを処理して行かなければならないのは当然ですが、このような案件こそ再審して、白黒ハッキリつけたほうが良いと思うのです。

当の本人は現在92歳とのことで、長期の再審には耐えられないかもしれませんが、万一事実無根の罪で逮捕され、10年もの長きに渡って刑を科せられ、更には名誉も回復されず殺人者としては生きていくなんていうのは耐えられない。

私なら正常な判断力を失った挙げ句、ダンプカーで裁判所か裁判官の宿舎に突っ込む位にメンタルにダメージを受けると思う。しかし、失った時間よりも、これからの時間を殺人者として生きていくということは、自分が潔白であればある程、絶対に許容できないと思います。

私も裁判をしたことがありますが、司法というのはどうも木で鼻を括ったような対応をして、解決しかかっている問題を更に複雑な問題にしてしまう嫌いが有ります(あくまで私の個人の経験と感想です)。

この犯人とされた方が自分の妻だったら、又は自分の母親だったら、この裁判官は棄却という結論を受け入れられるのだろうか。甚だ疑問である。日本は法治国家であるが、国民感情から乖離した法の運用は本末転倒と言わざるを得ない。この判断がニュースになるという事は、そういう事だろう。

私は自分の裁判のときに強く思ったことがあります。それは、裁判で言われたことで明らかに「それは違うだろ!」と言いたくなるような事を裁判官や裁判所の人間が平気で言うことです。とても酷いです。思い出しただけでも腹が立ちます。でも、多くは泣き寝入りです。逆に私は少しですが戦う方法を知っていたので我儘を通すことができました。これも相手方の立場から見ればいい加減な話です。

とにかく司法の話はメディアに乗りにくいです。華やかさもなければ、話自体が難しくて取っ付き難いという側面があるためクローズアップされにくいのでしょう。大きな事件もあっという間に風化します。

我々ブログを書く人間は、他の人が見向きもしないことを取り上げて文章にして意見を広め、その中から志を同じくする人が集めることが出来ます。

そして、最近はネット界隈で話題になった事は地上波で取り上げられたり、雑誌に載ったり、とにかくメディアに載る機会が生じます。

ですので、このような意見はまずはネットで拡散し、少なくとも万一自分や自分の大事な人が事件に巻き込まれた時に、納得の行く裁判を受けられるよう、世の中を変えて行かねばなりませんし、その様に変えていくのは国家の義務で有ります。

憲法の条文です
第三十二条何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない

より良い未来のために、
皆で考えましょう。

十二人の怒れる男(字幕版)