死にたくないのは皆同じ。
ロシアでブリゴジン氏が反乱を起こし、その後ベラルーシへ亡命したという。
そして、危難の去ったプーチンはブリゴジン粛清の方法を考えているという。
以前も記事にしたが、どんどんと自体がその予言の方向へ向かってきている。
反乱を起こしたのはまず兵士。
だって、弾薬も食料も無く、どうやって近代兵器を持つ相手と戦うのか。
ブリゴジンと言えど、補給が無くては戦闘の継続はままならない。
死にたくないが、依頼も反故には出来ないと迷った上での反乱で、特に深謀遠慮は無かったと思う。
一番驚いたのはおそらくプーチンだろう。言うことを聞くものとばかり思っていた軍に叛旗を翻されたのだ。
もちろん、現場のことを正確に解っていればそうは思わないし、もっと補給に力を入れていただろう。
ロシアでまともに作戦行動できて士気も高いのは、ロシア国内の犯罪者集団のワグネル、チェチェンの残党であるカディロフ部隊ぐらいのものだろう。その他は練度も低く、装備も旧式で役に立たない。
そしてベラルーシだ。
ルカシェンコは大ロシア主義者だが、その盟主がプーチンだとは思っていない。
自らが大ロシアの盟主たらんと虎視眈々なのである。
そこへ遊撃部隊としてワグネルが加わったらどうなるだろうか。
まずは世界経済の安定のために、ロシアのプーチンを廃して、軍を引き停戦するのが一番の落としどころである。
そして、凹んだロシアを飲み込んだベラルーシが大ロシアの盟主となる算段だろう。
もしかしたら、行きがけの駄賃に疲弊しきったキーウへ進軍し、時を同じくしてモスクワをワグネルが突くというシナリオもあるかもしれない。
どちらにせよ、プーチンは支持を失った。これからは誰がポストプーチンなのかを決める戦いになりそうだ。
何より早く、戦争状態が収まり物価が戻らないと、多くの国で恐慌が起こる。
本当はロシアの人民が立ち上がらなければいけないのだ。早くしないと、ロシアはあと100年は世界の最貧国でいなければならなくなるだろう。
日本はこのドサクサに北方領土を返還させるようにうまく立回らなければならない。攻めるふりをして、攻めない代わりに北方領土をよこせ!という脅し方ができればよいのだが、財務省の犬の岸田ではどうしようも無いだろう。
日本は人材も枯渇してきている。それに気づかれる前に、守りを固めておいてほしいものだ
出際にニュースを聞いて、メモ程度に書いておく。
第三子に手厚い保護をして、第一子、第二子を据え置くのは悪手。
なぜか?
これは「空気」を感じていればわかる。
今、世界的に「分断」の時代である。
何となにの分断か?それは、「持てる者」と「持たざるもる」の分断だ。
公平な分配は、持てる者と持たざる者の差を埋めて、多くの人が幸せになるためのクリティカルパスである。理由は簡単で、分断は争いを生み、革命をもたらすからだ。
革命の後、多くの場合長期の混乱になる。
当然だ。統治機構は未熟になり、今まで権力を得ていた層は理由をつけて粛清される。それだけ時代が後退するからだ。
しかし革命の後、活力を取り戻した民衆によって時代は加速する。それもまた真実だ。
話が横にそれたが、なぜ第三子を手厚く保護することが悪手なのか。財源がないため仕方ないと言っているが、ではその限られた財源を何に使うべきなのか。
もちろん、少子化対策というのは根の深い問題で子供を産んだ家庭に報奨金を配るようなやり方で解決するものではないのだが、なぜ第三子なのか???
同じ子供を作ろうとする過程であれば、第一子に多くをつぎ込むべきというのが結論。
第三子を産もうとする過程はそもそも「持てる者」の側だ。そちらの保護を厚くすることは第一子を産もうか悩んでいる多くの家庭から反感を買う。もちろん子供はおろか結婚もできない層からしても同じだ。
政府の仕事はお金のある人からお金を徴収して、貧しい人がうまく生活できる仕組みを組み立てることだ。
どんなに良いサービスのMMOがあっても参加者が少なければつまらない。
くだらない例を挙げてしまったが、現実社会では「参加者」がいなくなる=無敵の人が増える、という事だ。
はした金を身内で回してヨシと思っていると、そのうち丸腰で外を歩けない国になってしまうぞ。
最近金のない若者がアルバイトで強盗をするという。
テレビで高価な商品のCMを禁止し、キラキラした恋愛ドラマを禁止して、無駄に欲求を掻き立てないよう、法律を定めた方がよい。庶民の空気的にはそんな感じであるのに、政府のいかに呑気なことか。
まあ、最近の無敵の人は照準をキチンと絞れていることが多い。
すなわち悪行をなしているもの「だけ」に突撃するだろうから、何も悪いことをしていない私は、安心できるわけだ。私に限らず善良に生きている多くの国民にとって。
ただ、政権中枢、行政、司法、立法に携わるみなさん。高級官僚のみなさんは、必死になる必要があるでしょう。無敵の人は確実に「〇っても批判されない人」を道連れに、社会から「退場」していくに違いない。
課金勢も非課金勢も楽しく遊べるMMOがはやるんじゃないかな。
それ以外は「参加者」がどんどん退場していき、運営は「炎上」するでしょう。
最後まで読んでくださり、
ありがとうございました。
ロシアの終わりは始まった。そりゃあ、無駄に死ぬために戦場へ行くくらいなら、新たな被害者を出さずに、ワンチャン生き残れる方を選ぶわな。
ウクライナ戦争も終わりが見えてまいりました。
ロシア人兵士に拠るロシア本土への攻撃や、
ブリゴジン氏(ワグネルの創始者)の「ロシアで革命が起きる」との発言と、バフムト撤退、
親露国の結束を見せようと、パシニャンとアリエフを呼びつけたものの、傍若無人に目の前で口論をされる有様。
ブリゴジン氏は云う。
エリートの子弟を戦場に出せ。
死んだら彼らを埋葬しろ。
そうすれば市民は納得する、と。
私の好きな小説に「銀河英雄伝説」がある。
その中では何度もこのブリゴジン氏のような言葉が繰り返される。
―戦争で未亡人となった反戦活動家が、慰霊集会で国防大臣に「あなた達はどこにいますか!」と問いかけるシーン。
―自分の家族を「戦争を早く終わらせるため」という理由で核攻撃で殺された男が為政者の前に立ちはだかり、
「多数のために少数の犠牲はやむなしと云うが、その中にお前たちやお前たちの家族がいたことがあるか!」
と怒鳴るシーン。
どれも物語の中で強烈なインパクトのあるシーンだ。
一方の主人公ヤン・ウェンリーが「人間の行為の中で何が最も卑劣で恥知らずか、それは権力を持った人間や権力に媚を売る人間が安全な場所に隠れて戦争を賛美し、他人には愛国心や犠牲精神を強制して戦場へ送り出すことです。」との台詞を吐くのもとても印象的だ。
上の未亡人やヤンの発言は、堕落した民主主義国家の腐った為政者によるシビリアンコントロールで行動の自由や満足な補給もなく戦わざるを得ない軍人や、そのお粗末な作戦により愛するものを失った人の叫びであり、
自衛隊や、ロシアの若い兵士を失った母の会と、恐ろしいくらいに重なる。
作者は歴史に造詣が深く、良く歴史を研究している。
温故知新ということばがある。
歴史は人の営みの集まりである以上、得てして同じようなことが繰り返されるのだ。
多くの人類が、進化しようとしている中、
「一人の馬鹿」のせいで。
ブリゴジン氏はこうも言っている。
「エリートたちは自分たちの子どもを戦争から守る一方で、一般のロシア人の子どもたちは戦地で命を落としている、こうした状況が続けばまず兵士が立ち上がり、そして兵士の家族がたちあがり、1917年の革命が再び起こるだろう」と。
これが終わりの始まりだ。プーチンもナチスのヒトラーの如く、モスクワに戦車が迫るのを聞いて地下室で自殺するのだろうか。
それなら本当の馬鹿だ。
今彼にできることは、一人でも市民や兵士の犠牲を少なくするため、敗北を認め撤退し、すぐに戦闘を辞めさせることだろう。
どちらにしても長くない命だ。
先程の銀河英雄伝説から引用して締めたい。
―人間の集団という奴は、話しあえば解決できるていどのことに、何億リットルもの血を流さなきゃならないのかな。
―たったこれだけのことが実現するのに、500年の歳月と、数千億の人命が必要だったのだ。
銀河連邦の末期に、市民たちが政治に倦まなかったら。
ただひとりの人間に、無制限の権力を与えることがいかに危険であるか、彼らが気づいていたら。
市民の権利より国家の権威が優先されるような政治体制が、どれほど多くの人を不幸にするか、過去の歴史から学びえていたら。
人類は、よりすくない犠牲と負担で、より中庸と調和をえた政治体制を、より早く実現しえたであろうに。
「政治なんておれたちに関係ないよ」という一言は、それを発した者に対する権利剥奪の宣告である。
政治は、それを蔑視した者に対して、かならず復讐するのだ。
ごくわずかな想像力があれば、それがわかるはずなのに。
―法にしたがうのは市民として当然のことだ。
だが、国家が自らさだめた法に背いて個人の権利を侵そうとしたとき、それに盲従するのは市民としてはむしろ罪悪だ。
なぜなら民主国家の市民には、国家の侵す犯罪や誤謬に対して異議を申したて、批判し、抵抗する権利と義務があるからだよ。
フィクトセクシャルの結婚は憲法上守られる権利なのだろうか。
最近、フィクトセクシャルに関する記事を読みました。
初音ミクと結婚し、結婚式を挙げ、会話(脳内補完スキルで可能)もでき、近所の公園や喫茶店へお出かけして(ミクさんは動けないので介護が必要)一緒にご飯も食べるという。
いやね。私のような間口の広い人間でも、一回は「マジか」となりますよ。
しかし、彼らは幸せそうなんですね。
「生命」という意味では初音ミクは生物ではなく、生身の人間やペットのように体温や息遣いを感じることは難しい。
(しかしこれも、最近のVR技術の進化により、没入性のある空間で息遣いを感じられるような体験まで、既に可能になっています。)
このような話を聞いて思うのは、LGBTQ法案についてです。
私が聞いた、性的マイノリティを示す語で最も長いものは「LGBTQQIAAPPO2S」というものです。これが何かは各位お調べいただくとして、この中に「F」は入っていないのです。
私はザクッといえば差別はいかんが法令化は時期尚早という人です。
風呂便所問題をはじめとして、まだまだ詰めなければならない部分は多い。そして法制化をすすめる元となる法理としてもまだ不十分な点は否めないと思っています。
そういった法理の問題の一つが「なぜ「F」が含まれないか」の根拠でしょう。
LGBTに対して理解的なひとでも、Fに対しては、「いやいや、、、それはチョット」と思う人がいるかも知れません。
しかし、それが認められないことに対して本人が「生きにくさ」を感じているなら、LGBTQ法案成立の暁にはこういった結婚も認めていく事になってくる。
更には「石」と結婚する人も出てくるかもしれないし、「森の空気」と結婚したい人が出てくるかもしれない。
なんなら私は幼少の頃、母の証言に拠るとだが、「月」と結婚したいとのたもうたらしい。月に替わってお仕置きするうさぎちゃんではなく、リアル「月」!夜空に浮かぶアレだわ。
正直言って、キリガナイ。ソラア浮世のよしなしごとよ。生きにくいこともありますぜ。
ただ、結婚は多くの文化圏で一夫一婦制で、我が国の憲法にも「両性の合意」という文言が使われている。両という言葉は2つの対となるものを指す。ここでは男女であることは疑いありません。
更には国民の義務として「子女に教育を受けさせる義務」というのがある。これも結婚は子育てを前提としているという、多くの文化圏で共通する価値観です。
ですので、それこそLGBTQを法的に保護するのであれば法理を整え広く国民に周知し、憲法改正によって上の文言を書き換える事がもっとも良い方法だろう。
家庭のあり方は国の礎であります。やはり広く国民に諮り、変更は当然との民意でもって実行される必要があるでしょう。
国会議員が「気持ち悪い」とか言っているうちはまだまだ先のお話です。(法案を強引に通そうとしたのは多分骨抜きにするためだと思うのでここでは関係ない)
もちろん、可能な限り、特にトランスジェンダーで悩む方に対して生きやすい状況がもたらされるのが理想です。
しかし、それが科学力で体を改造し、結婚を認めさせることなのかと言われれば疑問です。
しかも、LGBTQの法案を求めている人に当事者は少なく、多くの当事者は「時期尚早」と思っているそうです。
あなたの意見を、聞かせてください。
特に「F」に対して。
東京都の悪手は、やはりグルだからなのか。世も末、という言葉がよく似合う。
最近少し下火になって来ましたが、何も解決していない問題の一つに東京都の若年被害女性支援組織の公金不正受給疑惑があります。
colabo問題とも言われるこれらの問題ですが、私がどうしても解らない点があります。それは東京都の対応です。
東京都は早い段階で情報を開示して、適正な措置をしていれば、ここまで叩かれることは無かったかと思うのです。
もちろん管理が杜撰だった事は批判されると思いますが、そこで膿を出すことに成功していれば、却って良くやったとの称賛を得られたかもしれません。
それを自らの責任逃れにしては雑て不誠実な対応を繰り返し、訴訟までもつれ込む始末です。
今の都民の心境としては、colaboも悪いけど、東京都の対応は最悪、という感じでしょう。
それに対して国の対応は毅然としています。おそらく司法の対応もそうなるでしょう。もしそうでなかったら、暇空さんのnoteを購入して裁判官の名前を確かめ、弾劾裁判で☓をつける必要が出てくるでしょう。
ともかく、東京都は初動を大きく間違えてしまった。それは一重に、一般市民は強権で持って黙らせておけば泣き寝入りするだろう、という昔ながらの悪しき役人根性に基づくものでしょう。
あと、都庁の中に喧嘩のやり方を知っている人間が少なかったという事も浮き彫りになりました。喧嘩は相手を見てやるものです。心技体万全で捨て身で向かってくるものに対して雑な扱いをしたことで、対応の杜撰さ以外に、怒りまで買ってしまったと言えるでしょう。
仮に知事なり偉い人が隠蔽を提案しても、相手の情報を集めて喧嘩するとハマると助言できる人がいない事が、役所の人材不足を物語っていると思います。
タダの真面目やゴマすりばかりが上にあがって、本当に熱意や胆力のある人材を脇に追いやっては居ないでしょうか。
流石に少子化とはいえ、そこまで東京に人がいないとも思えません。
胆力のある職員は情報をリークするなり色々な方法で膿を出し切るべきだし、この問題を解決できなければ、今後日本は10年持たないでしょう。当たり前です。税金を上げても、無駄金をドバドバ使っていて、どうしても他国との競争に勝てるのか。
東京都職員、東京都民はよく考えなければならないところまで来ています。
デジタルに弱いお年寄りに配慮して紙を残すのはナンセンス!
お役所の書類がデジタル化されることについて、よくお年寄り問題が挙げられる。
お年寄りはデジタルが使えないので紙を残す、と。
まあ、わからんでもない。
お年寄りは「デジタル」と聞くだけで「無料」となるもの。若い人のように「いっちょ触ってみるか」とはなかなかならんモノだ。
しかし。
それが最も良い解決だろうか。
お年寄りにシステムの使い方を教えるぐらい普通の若い人なら誰にでもできる。
役所が安くで担当の説明員を大量に直接雇用して説明員にすることは出来ないだろうか。。もちろん、期間限定でだ。
そうすればお年寄りもデジタルに、強くなり、あらゆる所で恩恵に預かることができる。若い人と話をするために役所に来るお年寄りも出来るかもしれない。それはそれで良い。過疎の村のリゾートバイトのような形も良いだろう。
大体のニートはデジタルには強い傾向がある。ニート対策にもなるだろう。高校生のバイトにも安全で良い。
問題が生じたとき、その問題を他の問題とぶつけて相殺できないか?という視点は大事かと思う。
政府もありきたりな事を考えるのではなく、諸々の問題にじっくり向き合い、知恵を出すべきではないか。
中抜きの構造は国民の知る所となって久しいが、今はネットの力を借りて、また、不本意ではあるが無敵の人によって正常化されようとしている。
本来政治家が行うことだ。
諸々の問題に知恵を絞る。予算をかけすぎずに問題を解決できないかと丁寧に対応することが、政治の第一歩ではないのか?
政治が完全に敗北する前に、我々は丁寧な対応の出来る政治家を選ばなければならない。
書かずにはいられまい。岸田首相への襲撃事件について。テロが起こらない国家を目指そう。
人生を賭して、巨悪と刺し違える。
これはテロなのだろうか。
前にも少し記事にしましたが、
山上某が安倍元首相を銃撃した時、枕で「どんな理由があっても暴力は許されない」を使っている記事が多いが、本当にそうか?と疑問を投げかけました。
例えば正当防衛。あれも暴力です。
自らの権利や財産、身体や生命に急迫する侵害に対して、警察は元より政治での解決などあろうはずが無い。
恐怖を覚えさせるために市民を狙うテロはあってはならない。とはいえ、市民を無差別に傷つけるものは支持もされないので、心配は無いのだが。
単純な国や政府、行政への「私怨」をその責任者にぶつけたと言うだけのものに感じるのだ。
民主主義は少数者の意見にも耳を傾ける!と言いながら数の理論で押し切っては来なかったか?
そういう仕組みだから従いなさい。と言われても、自らが搾取されるだけの仕組みに従順である必要はない。
今回の犯人にどのような動機があるのかはわからない。
しかし、彼は何らかの理由で「社会契約を降りた」のだ。
当たり前だ。
不平等な契約を押し付けられて、一方的にそれを守れは無い。
民主主義が社会契約の上に成り立っているのであれば、為政者は限界まで相互の利益について考え抜いて、十分な説明をする責任が有る。それを蔑ろにしてきた結果ではないのか。
国民の税金を無駄遣いして、暇空茜氏のような人に証拠をもって追求されてものらりくらりの不誠実な対応。
そりゃ、自分の財布から金抜いて逃げようとするやつがいたら、ぶん殴ってでも止めますわな、普通。
勘違いしてもらってはいけない。
私はテロを容認するわけではない。
しかし、他人の財布に手を突っ込んでおいて殴られても、それは妥当な結果だと言っている。
当然、当の犯人以外の人間に危害を加えるのはNGだと、この喩えでわかるでしょう。
なので政府や行政(官僚)の皆様には、このようなテロの起らないような政治を心がけて欲しいと思うのです。
目標、掲げたら良いのでは?テロの起らない社会を実現します!!って。特に財務省。
そのためにはまず最初に国民の財布に突っ込んだ手を戻すことが第一だと思うが。
中抜きの構造を一掃して、税金が必要のない社団法人などに流れていないかをしっかりとチェックする必要が有るだろう。
本当に、岸田さんが無事で良かった。
これを機に、死ぬ気で政治に取り組んでいただきたい。岸田さんだけでなく官僚の皆さんも。名前の出ている人も、そうでない人も。
日本をテロの起らない国にしてくれる事を期待しています。
※でも、テロは絶対に許されない!とか、ズレたこと言って自らを顧みることはしないのだろうな。
最後まで読んでくださり、
ありがとうございました。