フィクトセクシャルの結婚は憲法上守られる権利なのだろうか。
最近、フィクトセクシャルに関する記事を読みました。
初音ミクと結婚し、結婚式を挙げ、会話(脳内補完スキルで可能)もでき、近所の公園や喫茶店へお出かけして(ミクさんは動けないので介護が必要)一緒にご飯も食べるという。
いやね。私のような間口の広い人間でも、一回は「マジか」となりますよ。
しかし、彼らは幸せそうなんですね。
「生命」という意味では初音ミクは生物ではなく、生身の人間やペットのように体温や息遣いを感じることは難しい。
(しかしこれも、最近のVR技術の進化により、没入性のある空間で息遣いを感じられるような体験まで、既に可能になっています。)
このような話を聞いて思うのは、LGBTQ法案についてです。
私が聞いた、性的マイノリティを示す語で最も長いものは「LGBTQQIAAPPO2S」というものです。これが何かは各位お調べいただくとして、この中に「F」は入っていないのです。
私はザクッといえば差別はいかんが法令化は時期尚早という人です。
風呂便所問題をはじめとして、まだまだ詰めなければならない部分は多い。そして法制化をすすめる元となる法理としてもまだ不十分な点は否めないと思っています。
そういった法理の問題の一つが「なぜ「F」が含まれないか」の根拠でしょう。
LGBTに対して理解的なひとでも、Fに対しては、「いやいや、、、それはチョット」と思う人がいるかも知れません。
しかし、それが認められないことに対して本人が「生きにくさ」を感じているなら、LGBTQ法案成立の暁にはこういった結婚も認めていく事になってくる。
更には「石」と結婚する人も出てくるかもしれないし、「森の空気」と結婚したい人が出てくるかもしれない。
なんなら私は幼少の頃、母の証言に拠るとだが、「月」と結婚したいとのたもうたらしい。月に替わってお仕置きするうさぎちゃんではなく、リアル「月」!夜空に浮かぶアレだわ。
正直言って、キリガナイ。ソラア浮世のよしなしごとよ。生きにくいこともありますぜ。
ただ、結婚は多くの文化圏で一夫一婦制で、我が国の憲法にも「両性の合意」という文言が使われている。両という言葉は2つの対となるものを指す。ここでは男女であることは疑いありません。
更には国民の義務として「子女に教育を受けさせる義務」というのがある。これも結婚は子育てを前提としているという、多くの文化圏で共通する価値観です。
ですので、それこそLGBTQを法的に保護するのであれば法理を整え広く国民に周知し、憲法改正によって上の文言を書き換える事がもっとも良い方法だろう。
家庭のあり方は国の礎であります。やはり広く国民に諮り、変更は当然との民意でもって実行される必要があるでしょう。
国会議員が「気持ち悪い」とか言っているうちはまだまだ先のお話です。(法案を強引に通そうとしたのは多分骨抜きにするためだと思うのでここでは関係ない)
もちろん、可能な限り、特にトランスジェンダーで悩む方に対して生きやすい状況がもたらされるのが理想です。
しかし、それが科学力で体を改造し、結婚を認めさせることなのかと言われれば疑問です。
しかも、LGBTQの法案を求めている人に当事者は少なく、多くの当事者は「時期尚早」と思っているそうです。
あなたの意見を、聞かせてください。
特に「F」に対して。