友人とのLINEにて。
全能の神がいるとして、
その神は不滅の玉が創れるのか。
これは全能のパラドックスと呼ばれるもので、創れるとするのならば、神は玉を壊すことができず全能ではなくなる。という矛盾を含んだ文章のことを指します。
矛盾、のもとの話も、何者も防げる盾と何者も突き通す矛、ではその矛で盾を突いたならどうなるのか?と問うたものです。
そのパラドックスの解法はさておき、
果たして、全知全能の唯一の神を崇める人たちはこれをどのように、解釈しているのだろうか。
これは過去、いろいろな哲学者、神学者によって考察されているので、そちらを知りたい方は「全能のパラドックス」で検索されると良い。
私の考え方は、ハリー・G・フランクファートの考えに近く、また、寄りわかり易く説明出来ると自負するところである。
つまり「全能の存在」という言葉自身がすでに「人間」の感知しうる論理を超越してしまっている、とかんがえるのだ。
そうすれば、そもそも「論理外」の話をしているので、何でもありになる。すべての問に「出来る」と答えていれば良い。それに対して「人間の論理の範囲内で」矛盾しているように見えても、全能の存在はそれをクリアするだけのことなのだ。詳しいことは我々人間にはわからない。「万能の存在」自体が人間の乏しい言語能力が作り出したバグだからだ。コンピューターなら「万能の存在」と書いた時点で止まるだろう。
、、。さて。
それでは例えばキリスト教等の全能の唯一神を認める場合はどうなのか。
これは少し状況が違う。
(キリスト教にもいろんな宗派があり、考え方も違うので、私の知る範囲で、と前置きして、ここに当てはまらない宗派や説も多くあることを事前に注意しておきます)
私の知る限りでは、聖書の神を通俗的に言われる「全知全能」と紹介してしまうと、雑な紹介、となってしまうと思う。
聖書の神は「本質的全能者」であり、その本質に叶う範囲では全能である、と書かれている。
そして聖書の神の本質は「愛」であるので、それに反することは出来ない。と書かれている。しかしそれも神の言葉を預言者から伝え聞いて文字に興したものを今の私達が読んでいるに過ぎない。
(例えば神が「2000年後にiPhoneが開発されて人類の生活様式がメチャ変わるんやで」と仰ったとして、当時の人に理解されず、記事として残らなかった可能性や、より当時の人に理解できる形の記述に置き換えられた可能性もある。)
なので、心配する必要は無いし、大事なことは、人間の脳はそのようなバグを起こすことがあることを知る事だ。
雑な言葉を使わず、気を付けて物事を見ていかなければならない。それが今回の記事を書いていて通説に感じた学びだろう。
最後まで読んでくださり、
ありがとうございました。
Newton別冊『絵でわかる パラドックス大百科』 (ニュートン別冊)
- 発売日: 2019/01/21
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