高圧的な同僚を意に介さないのは「配慮が足りない」のか?
皆さんの職場には「高圧的な同僚」っていませんでしょうか。
しかも、中身が伴ってないとなると最悪です。
こちらからではどうしようも無い事をネチネチ言ってきて、圧をかけてくる(つもりなんでしょう)。
こちらは意に介さず「目処は立っています」と答えるだけですが、内心には、(こちらの処理の許容範囲内で決着がつく目処が立っているから、大騒ぎしなくても大丈夫だワイ、後はお客様の都合だろうが!)と、正直スルーしてました。
また、他の同僚からは、「大変ですね、、、」と同情される始末。まあ、いつもの事なんでしょうね。で、詰めると面倒くさいので、周りも我慢していると。
良くない連鎖です。
しかし私も、面倒くさいのでスルーです。リスクを冒して指摘する程の愛情は持ち合わせておりません。
そんな中、興味深い話がありました。
「おやじさん、もうちょっと負けてあげたらいいのに」と言われたのです。要はその面倒な同僚に負けたふりをして対抗意識を反らせば良いではないかとの指摘です。
しかし、それだとエスカレートの危険があると思ってしまい、どうしてもその話に乗ることは出来ません。
私は話が通じる相手には誠意を持って指摘したり意見するタイプではあるのですが、話の通じ無さそうな相手だけは無理です。
本当に、こちらの真意が必ず伝わるシチュエーションでのみ発言するようにして、できるだけ関わらないようにしています。
これは悲しいことです。
自分を客観視できるならばこのような事にはならないのでしょうけれども、この手合はナカナカにそれが苦手のようです。
さらに面倒なのは、自覚しながら、こちらが何も言わないのをいい事に自らの権限を増そうとする奴らです。
これが居ると職場の空気は最悪です。
まさに一将功成りて万骨枯る。
そして絶望的なのは会社のトップがそれに気付かないことです。
その人の手柄の影には死屍累々の地獄絵図ということを看破し得ず、活力は失われていくばかりです。
そんな事では何も成し遂げることは出来ません。
幸運な事に、ウチの会社ではそのような事はなく、トップが目を光らせており、そのような人間は評価されにくい構造が出来つつあり、希望が持てますが、今、多くの企業でこのような無用の気遣いが行われているのではないかと思うと、脱力してしまいます。
日本の労働環境が抱える問題というのは、かなり昭和的な歪なものが残っており、それをうまく排除できなければ、まともな人間こそ苦労して実入りが低く、乱暴な人間はそのような優しい人間を踏み台にして自らの権力を築くことになります。
これでは世の中が良くなるはずは有りません。
トップが優秀であれば、そのようなものが現れても排除されていくのですが、そうでなかった場合、その悪は善良な社員を食い物にしながら力を増していきます。
これは私企業だけでなく、あらゆる組織でそうなのではないでしょうか。
なにか、現場で改善できる良い方法があれば、ぜひとも伝授頂きたいものです。
最後まで読んで下さり、
ありがとうございました。