許される暴力について書いておく。権力はその付託の範囲内で行われなければならない。
今回、山上なにがしの事件で、前置きのように「暴力はいけない。だが、、、」と書いている。一方では真実であるが、注意点もある。
特に「いかなる理由があってもそれを暴力で解決してはいけない」とあるが、はたしてそうだろうか。
※別に今回の事件を正当化するつもりは毛頭ありませんが、今後は注意が必要になってくるでしょう。
例えば正当防衛の場合。
急迫不正の侵害に対しては実力でそれを排除しても罰せられない。
これは暴力に対して暴力で対応したケースです。
次に緊急避難の場合。
これは現在の危難を避けるために行った行為を正当化するものです。
ここでの危難は不正のものである必要はありません。
身にかかった火の粉を払うために已むを得ず行われた行為は無罪になります。
上二つはよく知られていると思いますが、ほかにも実はあるのです。
正当行為の場合
これは法令で認められた行為や業務上必要になる行為です。
例えば私人逮捕などは刑訴法上で認められた正当行為となります。
また、ボクサーがルール内で殴り合いをしたからと言って、傷害罪、暴行罪で逮捕されることはありません。
これも、詳しい人はご存じかもしれません。
しかし、あまり知られていないものの中に、
「抵抗権」
というものがあります。
抵抗権(ていこうけん、英: Right of Resistance)とは、人民により信託された政府による権力の不当な行使に対して人民が抵抗する権利。革命権(英: Right of Revolution)、反抗権(英: Right of Rebellion)とも言われる。
海外の憲法では武装して抵抗することを認めると明記しているものもあります。
当然日本国憲法も近代憲法として、明文化こそされていないものの、英米法の流れをくむものとして、基本的人権として当然認められるものとして考えられます。
そして、日本は今どのような状況でしょうか。
一票の格差において司法により違憲状態が宣言されても政府は一向に是正しようとしません。また、組織の行き過ぎた集金行為に対して政府は献金や選挙協力の見返りに捜査を行うことをしておりません。これは宗教法人に限りません。ブラック企業、その他の組織についても同じです。
憲法は国家権力を縛る法です。そして権力がそれに従っていない状態を放置するとどうなるか。当然国民の人権は守られず、国は乱れ、持てる者とそうでないものの格差は広がり、国民生活は苦しくなります。
今の日本の弱体化の原因のひとつは、そのような状態が長く続いてしまった結果であると言えるでしょう。
権力は、襟を正さなければいけません。
にもかかわらず、ホームセンターで銃の材料になるものを売るなというあたおかなことを言い散らかす人が国会にいるという噂を聞きました。
個人の資質は責めるわけにはいきません。その人の能力や性格はなかなか変えられないものです。しかし、そのような人間を代表として国会に送り込んでしまっている人は大いに反省すべきでしょう。他の選挙区の人から笑われてますよ。
我々が長年投票行為を行っても何も変わらないのであれば、武器を取って立ち上がる「革命家」がそのうちあらわれてくるかもしれません。そしてその本懐が遂げられた暁には、その行為は抵抗権の名のもとに正当化されるでしょう。
権力は、襟を正さなければいけません。
(大事なことなので、2回言いました)
最後まで読んでくださり、
ありがとうございました。