お役に立ちたい!ズレてる私の感性はいかが?

今まで「ズレてる」と言われてきた感性を、「独特の切り口」としてお役に立ててもらえれば、というブログです。

ウクライナの為に祈る。ナターシャ・グジーさんの大切な故郷が死なないように。

多くは語りません。

 

歌を聴いてください。

 

そして、ウクライナの為に祈りましょう。

 

そしてロシア人たち。

 

武力での現状変更を推し進めた国民として、ドイツ、そして我々日本が

 

過去背負ってきたような重荷を、

 

今後100年間背負っていくことになるでしょう。

 

我が国とドイツは勤勉さと忍耐強さを持つ国民性であったので、

 

戦後、大いに復興することができました。

 

100年かかって。

 

このままではロシア国民は、

 

100年、いや、場合によってはそれ以上の呪いをうけるでしょう。

 

立ち上がれ、ロシア国民。

 

そして、国際法に従わない無法者を捕らえ、処刑しなければならない。

 

それが、ロシア国民の呪いを軽くする唯一の方法であるからです。

 

 

 

ウクライナの防人たち、そして意味なき戦いで命を落とすロシア兵に

 

この歌を送ります。

 

youtu.be

ナターシャ・グジーNataliya Gudziy1980年2月4日 - )は、ウクライナ出身で日本で活動している歌手バンドゥーラ演奏家(バンドゥリースト)である。

 

ウクライナドニエプロペトロフスク州(現ドニプロペトロウシク州)の村に生まれ、チェルノブイリ原子力発電所から3.5kmのプリピャチへ転居した。1986年4月26日チェルノブイリ原子力発電所爆発事故によって被曝した後、避難生活で各地を転々としてキエフ市へ移住する。

ウクライナの民族楽器バンドゥーラの音色に魅せられ、8歳から音楽学校で学ぶ。チェルノブイリ原発事故で被災した少年少女を中心に結成された民族音楽団「チェルボナ・カリーナ」(チェルノブイリの赤いカリーナの実)のメンバーとして、1996年1998年に来日し、全国で救援コンサートを行う。2000年からは日本語を学びながら日本での本格的な活動を開始。その透明で美しい水晶の歌声とバンドゥーラの可憐な響きは、多くの聴衆の心を惹きつけている。2005年7月のウクライナ大統領ヴィクトル・ユシチェンコ来日の際には、首相官邸での小泉純一郎首相主催の夕食会に招かれ、演奏を披露。チェルノブイリ救援コンサートのほか、テレビラジオ音楽教室や学校での国際理解教室など多方面で活躍している[1]。2016年には、音楽を通じた日本とウクライナの相互理解の促進に対する功績が認められ、日本国外務省から外務大臣表彰を受けた[2]

 

あなたの大切な故郷を守るために。

 

そして、来るべき日に、我々の故郷を守るために。